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Google vs 中国 〜新聞社が無くなる話
Categories: ∴saihate, 国創り

100117google

投稿者 : saihate (saihate Blogより転載)

Googleが中国にネットの検閲廃止を訴えている。

簡単にいうと、中国が国民にインターネットで閲覧出来るページを規制す事をGoogleがやめさせようとしている

Googleは国をも動かしちゃうのか?

Googleがどうこうってより、情報が全てオープンになって世界中で平等に共有出来るなら・・・

ある意味どんな革命より、凄い。

戦争なんて出来ないよね、みんながお互いの違いと価値を知ってしまえば。

中国の言い分は「情報規制が国家の安保を保っている」ということ。

「知られない事によって子供を守っているつもり」タイプの親って感じかな。

論点が「表現の自由」という以上、どういう結末になっても中国が恥をさらす興味深い話です。

でも、それを言っちゃあ日本もアメリカも中国を笑う事は出来ない訳で、国民が情報に操作されて思い込んで暮らしているのは同じ事。

政治に愚痴を言いつつもそれに準じて生活し、「正義のための戦争」っちゃあ若者が戦場に赴くのが現在の地球人の暮らし。

極論、国家なんて国民の妄想でしかない。

今まではありだったけど、もう、構造がいっぱいいっぱいじゃんね。

これは政治が良い悪いじゃなくて、ひとつのシステムの当然の摂理。

そして、普通に自然の摂理。

飽和して、次に行く。

とにかく、人々は、今を生きてるだけ。

話を戻せば、中国のネットインフラが整って、情報解禁となった時の中国のマーケットはビジネス的にも相当なポテンシャルなのは間違い無し。

その時、資本主義の最後の一斉攻撃が中国にいくでしょう!

(逆説的に、それが資本主義が限界という証明だよね)

そういう意味でも、これは相当面白いトピックだ。

情報解禁した時に、中国には多くの情報が流入するし、流出する。

既にハリウッドは中国マネーが支えているという噂は聞くけど、エンターテインメントなんかのメジャーシーンが中国にどの様に受け入れられていくかには興味がある。

That’sなエンターテインメントが「へ~」くらいに済まされて、中国からもっと凄いものが発信される可能性も大いにある。

中国はなんせ、永い歴史と多くの人口を持っているからね。今まで世界に知られていない凄い情報や技がたっぷりありそうだ。

その時、逆にこっちが我に還る訳か。

「俺達、情報に踊らされてた!」って。

情報って点では、ひとつの終焉(というより始まりというべきか)をむかえつつある。

例えば、紙の新聞はもうすぐ無くなる

ネットによって情報が早く、個人的になったことにより、当然そうなるでしょう。

流れで新聞社も無くなるでしょう。

新聞社が無くても、世界中の全員が新聞記者みたいなものだ。

気になる物をみんなに知らせたいってのは、絶対的に存在する衝動だから。

その欲求は、インターネットで満たされる。

若い世代にはすでに新聞なんて過去の遺物なんだけど、新聞社が潰れることが信じられない世代もある。

「新聞社」って存在は、ある世代にはいまだ権威の象徴的部分として根付いているから。

とにかく現在、各新聞社は生き残りをかけて模索中。

それが無駄な努力なのかは、新聞社のこれからのビジョンにかかってる。

ある大新聞社の社長が、リストラにあたってこう言っていた。

「我々の会社には、記者会見に出向いてそれをまとめるだけの記者はいりません」

・・・それを言ったら、おしまいなんじゃね?

だって、それが新聞(マスメディア)の最後の役目じゃね?

一般大衆への公式発表しか、やることもう無いじゃん?

事件に対して深入りしろと?

情報に深入りすればするほど、それは一個人の意見でしかなくなっていく。

結局、ネットに転がるゴシップとなんら変わらない訳で。

受け手の情報処理も変わった。

今の人はマスメディアの公式発表があったら、それに興味があるだけ情報を掘り下げていく。

ネットに転がる膨大な情報、個人の解釈、反対の発想も集めて、さらに自分で解釈する。

そこにあるのは情報の価値ではなく「その情報に対して個人がどれだけ掘り下げ、どこに落とし込むか」という個人のチョイスでしかない。

世の中には事実も真実も、個人の中にしかない

その真理に立ち返れるくらい、情報化社会は進んだってこと。

だから今の時代に必要なのは端的なネタであって、それに意味と価値を付けるのは個人それぞれ。

ニュースなんて一枚の携帯写真でも「今回のはすごい地震だった」っていう一文でもいいといえる。

そういう意味で一個人のつぶやきまでネット共有するtwitterは、遂にここまで来たか、という感じ。

個人のつぶやきを世界共有するということは、その「集合体」はある種リアルな、地球の今の総和という事だから。

「マクドナルドの新メニューが美味しい」というつぶやきが多ければ、それはその時の地球の気分。

もっと根源的に「腹減った」ってつぶやきが多ければみんな腹減ってるし、「暑い」ってつぶやきが多い土地では暑い。

つまり、つぶやきの総意はリアルな情報ともいえる。

少なくとも新聞記者が世間に合わせて解釈した記事やアンケートの数字よりは、リアル。

新聞社が「世界の飢餓人口は・・・」と統計を出すより、リアルだ。

個人の呟きがネットワークでリアルタイムに共有されるということは、そういう意味でとんでもない事。

「今」がデジタル化され、共有される。

これが進むと、そこにあるのは「個にして全」な世界。

嘘がつけないというか、嘘すら情報として吟味されるというか。

今までは「全米が泣いた・・・」映画はそんな映画として扱われたけど、今は個人の「泣かなかった」理由がシラフで出回っていて、それすら鵜呑みにせずに自分で解釈して答えを導いていく時代ということ。

全ての物が超メジャーと超個人的に二極化されるという未来像は、こういう点からも進んでいく。

例えば国会図書館が今やっているのは、全書物のデジタル化。

国会図書館には個人の私的な文書も「それに価値がある」と判断された場合、蔵書となる。

例えば、東条英機の手紙などだ。

さて、「それに価値がある」というのはマスな判断・・・逆に、薄い価値ともいえる。

ある意味ではお母さんの「今日はカレーにようかしら」というつぶやき、メモったレシピのほうがリアルで重要だ。

資本主義的に発せられるマスな文書や取材として当たり障り無くまとめられた情報より、ネットに転がる個人の情報のほうが活きた情報ともいえる。

ネット、SNS、Blogなど、個人の日記や発想はとめどなくデジタル化され、貯蔵されていく。

個人が自分の表現場所を手にしたことで、個人は個人の情報をチョイス出来る器を持った。

世間に流されない個人の価値を固めることが出来る。

マスの存在意義はいよいよ薄れていく。

新聞社の最後の言い分は「マスメディアが無くなると公正なニュースが無くなる」という点。

確かにマスメディアは、情報を世間に流すという役割がある。

それは万人がターゲットなだけに、世間に「普通」を植え付けてきた功罪といえる。

「過去最悪の・・・」とか「異例の・・・」とか、平均値を保った表現方法は、逆に般に「普通」を植え付けてきた。

根本的な事から言えば、ある出来事に対する個人の解釈は千差万別。

「良い / 悪い」「善 / 悪」なんてものは、みんなの総意に出来ないもんね。

例えば大地震に対する、全員の価値観や経験、喜怒哀楽は違う。

「皆の大惨事」としての総和もあるかもしれないが、個人の「いえ~い、火事場泥棒で大もうけ!」のつぶやきもリアルだ。

六本木ヒルズを代表に都内に多くのビルを持つ森ビルグループは、戦後の焼け野原の土地を「火事場泥棒的」に獲得していったのは有名な話。

その時twitterがあったら・・・みんなが「家が焼けちゃった、もう最悪〜」とつぶやいている時に、森さんは「今日も土地GET!」とつぶやいていた訳だ。

それは、今でこそ評価される呟きだろう。

そういう物事の側面を、マスメディアは等価に配信出来ない。

情報の価値や解釈が千差万別だという事を皆が知っている時代なので、情報の出所も個人でいいという、そういう話。

これからの時代は、情報の取捨選択から価値までをあくまで個人が持つということ。

今までは、全員一丸になって向かう指針が必要な時代だった。

人類の経験不足、みんなの方向性があやふやだったからだ。

国家や法律、情報やお金などの価値でその方向性を促すのは必要でも優しさでもあった。

しかしいよいよ、一個人の解釈にまで価値が降りてきた。

面白い時代です。

まだ世界の全員がインターネットを使いこなすところまではきてないけど、それも遠い未来じゃない。

いつか、人類がデジタルとアナログが同じ意味だと分かるまで進歩した時、、、生体とテクノロジーとの違いがなくなる。

アニメみたいな話だけど、冷静に考えて、そうなる。

そしてネットワークと生体が繋がったとき、詰め込み暗記も計算能力も、意味を持たなくなる。

そして、国も距離も時間も・・・

地球はひとつの完結をみるよね〜

個にして全、全にして個。

ダウンタウンの松ちゃんは、発想が凄いとこ突いてるよな~

携帯電話を生体にリンクさせる、、、今はまだお笑いだけど、そういう概念。

6 Comments to “Google vs 中国 〜新聞社が無くなる話”

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